石橋貴明(とんねるず)

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石橋 貴明(いしばし たかあき、1961年10月22日 - )は、日本のお笑い芸人、歌手であり、お笑いコンビ『とんねるず』の大柄な方でリーダーである。芸能事務所・アライバル代表取締役社長兼タレント。 身長182cm、体重74kg。

来歴

子ども時代

東京都葛飾区の裕福な家庭に生まれるも、小学一年のとき、父・武夫の経営する「石橋化成」が倒産。 板橋区成増へ移住(夜逃げ)し、更に父が蒸発。それ以降は極端な貧乏生活を強いられる。 素人時代にテレビに出て様々な賞をとったのは、 自分が頑張って賞金をもらい、その様子が父の目に留まれば帰って来てくれるとの考えがあったという。現在もその延長である旨を書籍で語っている[1]

貧乏でも終生誇りを捨てなかった父・武夫を、貴明は現在も尊敬しており、父は常に貴明の味方であったという。中学時代にテレビに出たことを学校側が 問題視したが、武夫は「帰宅した後は学校の管轄外だ! 帰宅後の子供の行動は私が責任を持つ。それを学校がとやかく言うことか!」と怒鳴り込んだこともある。そんな父は貴明がデビューしてまもなく死去し、その当日に友達と遊び歩いていた貴明はそれを知って「最後の最後に親不孝をした」と、死に目に会えなかったことを後悔したという[1]

幼少時からテレビ好きであり、特に『8時だョ!全員集合』のザ・ドリフターズをはじめ『カックラキン大放送!!』の堺正章、井上順、ラビット関根や、「ベンジャミン伊東」の伊東四朗、「小松の親分」の小松政夫、コント55号の萩本欽一、タモリなど、漫才ブーム以前のバラエティ番組全盛の時代の影響が強い。漫才ブームの時期は共に部活動に忙しかったこともあり、ツービートのビートたけし以外に受けた影響は少ない。 バラエティ以外で影響を受けた者としては矢沢永吉、アントニオ猪木、「傷だらけの天使」の萩原健一らが挙げられる。

小学生の頃は貧乏なためいじめられていた。

高校時代

帝京高等学校に進学し、木梨憲武と出会う。 在学中、石橋は野球部、木梨はサッカー部に所属。この2つの部は互いに交流が盛んで、部室内でのモノマネや一発芸などの披露を通じ、それぞれの部の 「一番面白いヤツ」とお互い認識したのが出会いのきっかけ。当時は主に先輩や先生のモノマネなどで、共に校内の人気者だったという[1]

石橋は高校在学中から『ぎんざNOW!』(TBS)や『TVジョッキー』(日本テレビ)をはじめとした、素人参加番組の常連であり、アントニオ猪木のモノマネやスポーツ選手の形態模写をはじめとする芸で一部の視聴者から注目されていた[1]

なお同時代のライバルには竹中直人が おり、『TVジョッキー』のザ・チャレンジ(素人お笑い勝ち抜きコーナー)の第1回グランドチャンピオン大会では、第3代チャンピオン石橋と初代チャンピ オン竹中が対決している。このときの勝者は石橋であり、初代グランドチャンピオンを獲得した。

また、木梨も第5代チャンピオンを獲得。木梨が出場した第2 回グランドチャンピオン大会には、石橋も出演している。

石橋ほどの頻度ではないが主に和田アキ子のモノマネで素人参加番組に顔を出していた木梨を、高校卒業の記念として石橋が誘い、所ジョージ司会の『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京)に出演[1]したのがコンビとして初めてのテレビ出演となる。

『お笑いスター誕生!!』の出演までは、賞金を合計で多く得るために、意図的にバラバラで出演することもあったという[1]。 共に帝京高等学校を卒業。

コンビ結成(1980年-)

帝京高校卒業後、石橋はホテルセンチュリーハイアット、木梨はダイハツと2人とも一般企業に就職するものの、「お笑いスター誕生!!」へのチャレンジ決意を機に再会[1]

当時のコンビ名は「貴明&憲武」。漫才ではなく、モノマネや一発ギャグ、アニメの『魔法使いサリー』や『サンダーバード』のパロディ、学校やアイドルタレントの一コマを演じるコントなど面白いものは何でもエネルギッシュに演る多彩さで、素人ながら4週目まで勝ち抜く。それを契機に2人は勤務先を退社し、プロデビューへと意志を固める[1]

退社後の1980年に正式にコンビ結成[1]

コンビ名も「とんねるず」と改め『お笑いスター誕生!!』にプロとして再挑戦して挑むが、10週目で落選してしまう。またこの時期、同番組担当の日本テレビ・赤尾プロデューサーの紹介で、赤坂のクラブ「コルドンブルー」におぼん・こぼんの後釜として所属したが、クラブの客層に芸風が合わず、受けなかった。

コンビ名「とんねるず」は、当時日本テレビのゼネラルプロデューサーであった井原高忠が貴明のTと憲武のNをもじった「とんまとのろま」と「とんねるず」を提案し、本人たちに選ばせた。「とんねるず」というコンビ名に関して井原は(脱線トリオ、てんぷくトリオに続く)次代のお笑いスターになって欲しいという願いと、素の2人を見て「暗い奴ら」と思ったのをかけたという[2]

所ジョージ司会の『ドバドバ大爆弾』に出場するも、あと一息のところで賞金72万円を獲り逃がす。

単身で『TVジョッキー』の「ザ・チャレンジ」という素人参加コーナーにも出演。

デビュー当初は喜劇俳優である由利徹と絡む事が多く、共演時のとんねるずは素人時代に戻ったかのように彼の芸を心から笑ってしまう場面も多々あり、前にあまり出ることはしなかった(時代背景としてあまり前に出られなかった環境でもあった)。そのほか若手の時代には、由利徹やクレイジーキャッツのハナ肇、植木等らのエンターテイナーや喜劇俳優、美空ひばりや堺正章らに公私共に可愛がられていた。

『お笑いスター誕生!!』では、1981年に開催されたゴールデンルーキー賞の15組にエントリー。決勝まで進むが、アゴ&キンゾーに敗れて、特別敢闘賞(事実上の第2位)に終わった。1982年4月10日には10週目に合格、グランプリを獲得した。その後も1983年末まで歌合戦などの企画や、グランプリ受賞者のネタ披露コーナーなどへ定期的に出演した。

営業時代(1981年-)

1981年には西城秀樹司会の朝の情報番組『モーニングサラダ』(日本テレビ)にレギュラー出演したが、些細なことから赤尾プロデューサーと衝突。一貫して日本テレビ系番組出演タレントだったとんねるずは同局から完全に干されることになる[1]

この間は新宿御苑のパフォーマンスバー「昆」(後にKONと改名)に出演するなど、下積み時代を過ごした。また、この頃は同じショーパブ系タレントであるビジーフォー(いそがしバンド)やアゴ&キンゾーらと交流を持ち、グッチ裕三宅に居候していたこともある。

スーパーの駐車場やデパートの屋上などで木箱をステージ代わりにして営業回りをしていたこともあった。しかし営業は結構いいお金稼ぎになり、食べていくには苦労しなかったと明かしている。さらにこの頃は既に『オールナイトフジ』への出演が決まっていたので、夜は連日豪遊していた。

その後、西城秀樹の初代マネージャーだった秦野嘉王が設立した新事務所「オフィスAtoZ」の所属第一号タレントになり再浮上の機を窺うことになった[1]。秦野は、当時のお笑い芸人には無縁だったスタイリストをとんねるずに付け、派手なブランドの代名詞でもあったK-FACTORYの衣装をコンセプトとするなど、イメージプロデュース戦略を図った。また現在に至るまでとんねるずの重要なブレーンであり、彼らの楽曲の作詞を行っている秋元康との出会いもこの時期である[1]

1982年4月、「お笑いスター誕生!!」で念願の10週勝ち抜きでグランプリを獲得した。

下積み時代(1984年-)

1983年12月、フジテレビ系の深夜番組『オールナイトフジ』 を皮切りにテレビ復帰。当初は番組後半に5分のコーナー「とんねるずの見栄講座」をもらったものの、番組内での些細なトラブル(石橋曰く「誤解によるも の」)によって、1984年1月に一旦降板。半年後の同年6月にレギュラーへと復帰している。

その後「とんねるずの何でもベストテン」「とんねるずなっわ けだぁ!」とコーナーや番組内の放送時間が早まるにつれ人気を集め、翌1984年に放送した同番組の「女子高生スペシャル」の発展形としてスタートした『夕やけニャンニャン』(フジテレビ1985年 - 1987年)では片岡鶴太郎、吉田照美を脇役に追い立てるほどだった。

その後も『オールナニッポン』(ニッポン放送)『深夜劇場・トライアングル・ブルー』(テレビ朝日)などレギュラー番組を増やしていく。

1985年には、「一気!」の人気から断交状態にあった日本テレビが動き、ビートたけし司会の『スーパージョッキー』 に歌手としてとんねるずを呼ぶことで、当時の関係者だけが知る「確執の事実上の“手打ち”」となった。 この際、ビートたけしととんねるず(特に石橋)はお互いに意識しあい打ち解けるような雰囲気ではなく、緊張感が漂っていたという。後にこの2人は番組で共演することになる。

この当時は『新春かくし芸大会』(フジテレビ)にも出場しており、映画『南極物語』のパロディに、ペンギンの着ぐるみ姿で顔すら判別しにくい状態でセリフなしの数秒のチョイ役出演や、中森明菜と体を張ったカマヌンチャク芸を披露するなどしていた。彼らは不遇な扱いを受けていた頃を皮肉る時に「あの時はペンギンでした」と例にとって挙げることがある。

ブレイク(1980年代後半-)

『とんねるずのオールナイトニッポン』(1986年 - 1992年)では火曜1部を担当し、数々のコーナーを輩出。『トライアングル・ブルー』では、可愛かずみ、川上麻衣子、前田耕陽などと共演する。

またこの頃、『新・ど根性ガエル』(日本テレビ)のテーマ「ピョン吉・ロックンロール」の後にリリースされた「ヤバシびっちな女(め)デイト・ナイト」以来のシングル「一気!」をリリース。 その際には、TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』 でのコーナー「今週のスポットライト」に登場。 この出演をきっかけに、深夜番組だけでなく、本格的にとんねるずが世に知られることとなった。

同曲は『オー ルナイトフジ』のコーナーでも毎回歌われ、勢い余ってセットの高所や吊り下げられた照明によじ登ったり、1500万円のテレビカメラを壊すなどの行動や、 自ら勝手に「カリスマ芸人」と名乗るなどの行動や言動を見せた。

1980年代、巷でタレントショップブームが巻き起こった際には彼らも、「セシカ」や、当時の番組『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ)とのタイアップショップ「バレンタインハウス」を原宿や京都に出店しており、関連グッズをヒットさせた。

女性からの人気も獲得しており、『ザテレビジョン』(角川書店)や『明星』(集英社)などさまざまな雑誌の表紙を飾った。

1988年、元モデルの前妻と入籍。妻との間に1989年には娘で今は女優の石橋穂乃香をもうける。

1987年10月『上海紅鯨団が行く』を引き継ぐ形でスタートした『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ制作、(フジテレビ系)がヒット。

当時IVSテレビ制作で番組の企画・総合演出などをしていた伊藤輝夫(現:テリー伊藤)や後藤喜男と出会ったのがこの時期。

一般参加者による集団お見合い形式の企画が好評を得る。今では集団お見合いパーティーそのものが『ねるとんパーティー』と呼ばれることもある。

また1986年から火曜ワイドスペシャルで数回特番を行い、1988年10月からは、『とんねるずのみなさんのおかげです』がレギュラー放送を開始。

番組内では、『仮面ノリダー』『保毛尾田保毛男』 などのコントやパロディを披露した。1989年3月のスペシャル時には番組シリーズで過去最高29.5%の視聴率を記録した。 更にこの頃には、13本のCM契約もしていた。

1990年代前半

1991年10月には、『闘牛』『カートグランプリ』『PK対決』などロケ主体のコーナーが人気を得た『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ)が開始。

1995年には、一時期疎遠状態になっていたTBSでの初のレギュラー番組『ねる様の踏み絵』が開始。1997年3月には『とんねるずのみなさんのおかげです』が完全終了し、同年6月に『とんねるずのみなさんのおかげでした』と改題し、リニューアルしている。

レギュラー番組をこなしながら、並行して音楽活動にも行い、「情けねえ」「ガラガラヘビがやってくる」をはじめとする曲がヒット。また1995年まで毎年全国コンサートツアーも開催する。1991年大晦日には『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。

テレビ、ラジオ、歌、CMなどメディア上での活動の傍らで、1991年から2000年にかけての10年間、苗場プリンスホテルのブリザーディウムにて、とんねるず単独コントライブ「こんと いん なえば」を開催し、一お笑いコンビとして生で客を笑わせることも重視していたが、コンビとしてのコントライブはその後行われていない。

1994年には独立し個人事務所「アライバル」 を設立。石橋が社長、木梨が副社長を務めている。当時の事務所に向かっていた途中、六本木・星条旗通りでお互い運転していた車を降り、「独立すればもっと正しい方向に向かう」と考えた石橋が、立ち話で木梨に独立の話を持ちかけた。

木梨は「貴明がいいならいいよ。」と二つ返事で了承したというエピソードがある。なお、1980年に就職が決まっていた時期に、石橋が渋谷パルコパート2の2階の喫茶店で「プロでやろうと思うけどどう思う?」と持ちかけた際も、木木梨の「貴明がいいならいいよ。」という一言で決まったという[3]

1990年代後半

1990年代後半(特に1996年以降)に差し掛かるとピンでの活動が活発になり始める。

石橋は、1996年10月に初の単独司会によるレギュラー音楽番組『うたばん』(TBS)の放送が始まり、2010年3月までの13年半続いた。また1997年2月に工藤静香とのユニット「Little Kiss」がヒット。1998年7月には三谷幸喜脚本のドラマ『今夜、宇宙の片隅で』(フジテレビ)に主演した。

2人揃っての活動としては、フジテレビの番組スタッフと組んだ音楽ユニット、野猿で1998年4月にデビューし、2001年までCDのリリースやコンサート開催などの活動を展開した。

2人が音楽活動で揃うのは1996年にシングル「おまえが欲しい」を発売して以来2年ぶりとなった。

1998年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「新・食わず嫌い王決定戦」で共演した女優の鈴木保奈美と再婚、後に鈴木との間に娘を3人もうける。

2000年代前半

2000年代以降、石橋は得意分野の知識を生かしたレギュラー番組や特番の司会など、ソロとしても活動の幅を広げている。

2000年1月3日には、『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』(テレビ朝日)が、正月番組として開始。番組内ではとんねるずが、一年を通して活躍した話題のプロスポーツ選手を迎えて様々な競技で対決している。10周年を迎えた2009年以降は5時間の特番として放送されている。

2004年の『FNS27時間テレビ』(フジテレビ)内で放送された『笑わず嫌い王決定戦』で、久しぶりにコンビ漫才を披露した。

2005年、『MLB主義』で共演した牛島和彦監督が率いる横浜ベイスターズのエグゼクティブ・アドバイザーに就任(以前は読売ジャイアンツのファンだったが、妻の鈴木が横浜のファンなので気持ちが変わった)。

2000年代後半

2008年10月、フジテレビの木曜9時枠で冠番組をスタートさせてから丸20周年を迎えた。

なお、同枠は1988年10月に『とんねるずのみなさんのおかげです』が正式なレギュラー番組となって以来、途中ドラマ出演による半年間の充電期間や『ラスタとんねるず'94』『とんねるずの本汁でしょう!!』などを挟み、現在放送中の『とんねるずのみなさんのおかげでした』まで続いており、厳密には2009年3月で20周年となる。

2008年9月25日、同年5月から『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画として始動していた「矢島美容室」をDJ OZMAと結成する事を発表し10月29日にデビュー。2人が揃って音楽活動するのは2001年に野猿が解散して以来であり、実に7年半ぶり。

CDリリースやライブもさることながら、2010年には当ユニット名義の映画を公開した。

2010年、コンビ結成30周年を迎えた。ちなみに石橋は美空ひばりに『(芸歴は)売れてから数えなさい』と言われて以来、「雨の西麻布」がヒットした1985年以降からカウントすることがある。

2010年代

2012年3月、木梨は5年ぶりとなるソロライブ「NORITAKE GUIDE 5.0」を開催。最終日には石橋がサプライズ出演し、1995年のコンサートツアー以来のとんねるずとしての客前歌披露を行った。

2012年9月10日、視聴者参加型特別番組『ハレバレとんねるず 略してテレとん』(テレビ東京)が放送される。テレビ東京へのコンビとしての出演は、同じく素人参加番組だった『ドバドバ大爆弾』以来32年ぶりとなり、プロになってからは初めての同局での冠番組となる。

2013年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)が放送25周年を迎える。2013年11月7日の放送では、放送25周年を記念してとんねるずvs矢沢永吉の「新・食わず嫌い王決定戦」特別対決が行われた。

2014年1月14日、『笑っていいとも!』(フジテレビ)放送第8000回目のテレフォンショッキングにて、不定期の番組レギュラー出演することが決定した。自身がメインではない番組でのテレビでのレギュラー番組は『夕やけニャンニャン』の終了時(1987年)以来27年ぶりとなる。またテレフォンショッキングの史上最長記録は1984年以来、長らく黒柳徹子(46分)が最長となっていたが、番組終了を目前にして彼らが48分22秒で更新した。

2008年8月28日、MCを担当していたTBSの『うたばん』が1996年10月15日の放送開始以来500回の節目を迎える。番組はその後2010年3月23日まで13年半続き、2010年4月から9月まで放送された後続の音楽番組である『ザ・ミュージックアワー』を含めて丸14年務めあげた。

2010年、コンビ結成30周年を迎える。

2012年秋、憧れの先輩でもあるビートたけしと『日曜ゴールデンで何やってんだテレビ』でレギュラー番組初共演した。現在もソロの番組やCMに出演中。

2013年頃からは老眼鏡をかけていることが多い。

2016年秋にTBSテレビで放映された『オール芸人お笑い謝肉祭'16秋』の放送内容について視聴者から抗議の声が大きく、放送倫理・番組向上機構(BPO)が同年10月25日に審議入りしたことが報道された。

交流関係

戦友・仲間

  • 石橋貴明は素人時代に『TVジョッキー』で竹中直人と知り合いそれ以後親交が続いている。また『お笑いスター誕生!!』の出演者らとも交流を深めた。

特にシティボーイズとはお互いネタを見せ合い評論し合う仲だった。他に小柳トム(現:バブルガム・ブラザーズのブラザートム)やコロッケや草野球友達としてツーツーレロレロ等と交流があった。

  • バブルガムブラザーズや同い年のTRFのSAMとはディスコ仲間でもある。1983年の再デビューまではショーパブ出演で知り合ったビジーフォーなどと親交を深めた。特に、石橋とグッチ裕三との関係は仲が非常に良く、妻・鈴木保奈美と含めて家族ぐるみの付き合いをしている。大木こだまとは『お笑いスター誕生!!』以来の交友がある。
  • 基本的に他のお笑い芸人と共演することを選ばず、主に番組の中にコーナーを設けて個別に好きなことをさせてもらえる環境を選び、新しいタイプのタレントの価値を模索することになる。そのため表面上はマンザイブーム系のタレントとの共演はあまりなく、同業者の交流も前出の『お笑いスター誕生』系タ レントが中心だった。ただし同年代のタレントとは盛んに交流を深め、水谷豊、田原俊彦、久保田利伸、元チェッカーズのメンバーなどはプライベートでも会う友人である。

先輩

  • 島田紳助との共演はあまりなく、このことは紳助が『26時間テレビ』内で放送された『笑っていいとも!増刊号』の「テレフォンショッキング」にゲスト出演した際に語っている。紳助とは『オレたちひょうきん族』や『歌のトップテン』などで頻度は少なかったものの共演経験はある。2000年代以降、さんまと共演することもほとんどなくなっていたが、2014年3月31日放送の『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』で、約15年ぶりの共演を果たした。
  • また、横山やすしとは『うちの子にかぎってパート2』の第2話で最初で最後の共演を果たしている。また、やすしと同学年の田村正和と関口宏とも共演した。やすしが演じた居作新太郎が経営する新聞配達店の店員の青年役を演じた。なお、やすしの相方の西川きよしとは『ぐうたらママ』、2002年11月21日放送『とんねるずのみなさんのおかげでした』「食わず嫌い王決定戦」で共演を果たしている。

後輩

  • 若手芸人との共演は、当時無名芸人だった、ナインティナイン、よゐこ、ココリコ、ネプチューンの原田泰造(ネプチューン結成以前の素人時代)が『ねるとん紅鯨団』出演を境に積極的になる。
  • ナインティナインは、これを機に、東京での知名度上昇に成功している。その後、岡村隆史は1997年3月の『とんねるずのみなさんのおかげです』最終回の「仮面ノリダー最終回スペシャル」にてノリダーの分身役を演じた。その後も、ナインティナインの番組にはとんねるずが出演するなどしている。
  • また、1990年代からは吉本興業所属の芸人とも共演が多くなり、「ダウンタウンファミリー」と呼ばれるココリコ、今田耕司、東野幸治、130R、千原ジュニア(千原兄弟)とも、共演する機会がある。
  • 爆笑問題、さまぁ〜ず、ナインティナイン、ロンドンブーツ1号2号、ネプチューン、タカアンドトシ、おぎやはぎ、バナナマンらは自らも語る通り、とんねるずの影響を直接受けた世代であり、彼らの多くはとんねるずの番組には多く出演するなどしている。
  • ネプチューンが『うたばん』に出演した際に石橋は「ウッチャンナンチャン派でしょ?」と茶化しながらも、「ウッチャンナンチャンは(後輩の育成もちゃんとやって)偉いよ」と発言している。

ダウンタウン

ダウンタウンとの共演はほとんどなく、共演したのはダウンタウンがパーソナリティを担当していた『ヤングタウン』と1994年10月3日放送の『FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル』のみだった(絡む機会はなかったが春祭にも両コンビが出演している年がある)。

  • どちらも多少ではあるが絡みがあり、対立をしていた様子はなかったが、実際の所はお互い特別な感情は持っていない。
  • 事実、松本人志(ダウンタウン)は自身のラジオ番組『放送室』にて「向こうのが先輩だし、年上やし、絡みもないので不仲と言われても何のことだかよく分からん。」と不仲説を否定するほか、「Re:Japanが『うたばん』に出てもいいし、野猿が『HEY!HEY!HEY!』に出てもいい。何かこの世界も、派閥でもないんですけど暗黙の了解というか、何の了解やねんと思うし。」と語っている。
  • また、おぎやはぎの矢作兼(おぎやはぎ)が、酒の席で石橋に「とんねるずって、ダウンタウンと仲悪いんですか?」と聞いたところ石橋は「それよぉ、全然仲悪くないんだよな」と周りが遠ざけていると語り、「俺たちを会わせちゃいけないって。俺からしてみれば、ダウンタウンって後輩なんだよ。後輩なんだけど、周りが凄いピリつくんだよなぁ」と 語っていた事をラジオ[4]で明かした。
  • 2014年3月31日放送の『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』で、約20年ぶりの共演を果たした。後日談として、ダウンタウン浜田が『HEY!HEY!HEY!』[5]のSMAPとのトークにて「何で仲悪いと思われてんのか(わからへん)絡んだことないのに仲悪いもなにもないやん」と笑顔で語った。

ウッチャンナンチャン

ウッチャンナンチャンとはお笑い第三世代の括りで並べられるものの、厳密には年齢、デビュー年、デビュー後の経緯を見るととんねるずの方が先輩にあたる。

  • 共に「お笑いスター誕生」出身者であり、とんねるずも出演していた『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』にも数回ではあるが新人のウッチャンナンチャンは出演していた。 ちなみに初共演は『オールナイトフジ』である。その後『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』がスタートするにあたり、1989年4月11日放送の『とんねるずのオールナイトニッポン』に飛び入り出演した。
  • また1990年4月の『とんねるずのみなさんのおかげです』半年間休止のピンチヒッターとして『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』で彼らが抜擢されたのがきっかけで、続編『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』 に繋がった。
  • 『とんねるずのみなさんのおかげです』の再開予告CMの終わりには、石橋が「ウッチャンナンチャンさん、ありがとうございました。」と礼 を述べた。
  • 1980年代・1990年代は頻繁に共演していたが、2000年代以降はコンビの共演がなくなってしまったが、はっぱ隊が『うたばん』に出演する等単独では度々共演している。ダウンタウンと同じく『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』にて、久しぶりにコンビ揃っての共演を果たした。

美空ひばり

  • とんねるずの2人は美空ひばりとも生前は親交が非常に深く「お嬢」「タカ」「ノリ」と呼び合う間柄だった。
  • 両者の出会いのきっかけは、とんねるずの大ファンだったひばりの息子・加藤和也(現:ひばりプロ社長)の誕生会に2人が呼ばれたことである。その後も『とんねるずのオールナイトニッポン』に、ひばりがアポなしで飛び入り出演した、とんねるずが出演していた同番組の生放送中にひばり本人から電話が入るなどの過去もある。
  • 彼らが出演していたテレビ番組を見ていた美空ひばりから、放送終了後に二人に電話がかかってきて、深夜にもかかわらずひばりの自宅に呼び出され、夜 11時頃から番組内での行き過ぎた歌パフォーマンスに対して説教を受けたことがあり、その際、美空ひばりのコンサートビデオを延々と見させられ、ひばりが席をはずすなり石橋がビデオを早送りにして何とか見終わったと思いきや、そのビデオは上巻だったらしく、続けて下巻のビデオを結局朝5時頃まで見させられ たというエピソードがある。
  • 1988年に東京ドームの単独コンサート第一号として、不死鳥コンサートが行われ、政界・芸能界から、沢山の有名人が見にかけつけていた中、とんねるずの2人も来ており、石橋は、隣に居た木梨に感動で泣くところを見られたくなかったので、必死に我慢していたが、ついに堪え切れず涙腺が崩壊しそうになり、「ヤバい」と隣の木梨を見たところ、木梨の方が先に号泣していたという。
  • 後に、ひばりの親友の中村メイコが食わず嫌い王に出演した際に語ったところによると、俳優の勝新太郎も、コンサートで声を震わせて号泣していたとのことである。

タモリ

  • とんねるずが素人時代に『お笑いスター誕生!!』へ出演した際、審査員からの評価は芳しくなかったが、審査員の一人のタモリは「お前らなんだかわからねえけど面白い」と評した。この当時、とんねるずを評価していたのはタモリとその世話人の赤塚不二夫だけだった。
  • タモリに誘われて『タモリのオールナイトニッポン』の見学にとんねるずの二人が行った際、このままお笑い芸人として本格的に活動するべきかどうかタモリに相談を持ちかけて、「やりたかったらやってみればいい」というタモリの言葉に後押しされて本格的にプロの道に進む決心をしたという。
  • 2007年10月4日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』でタモリと共演した際にとんねるずは、「タモさんがお笑いスター誕生の審査員じゃなかったら僕たちはこの世に出てなかった」と語っている。またその話を聞いたタモリは、『(ここまで伸びるとは思わなかったから)あの時つぶしとけばよかった』とユーモアをこめて話 している。
  • その時の食わず戦の相手が大ファンの松田聖子で、勝負に負け罰ゲームで約30年ぶりにイグアナとコンドルの着地のものまねを披露した。
  • 2014年1月14日、『笑っていいとも!』放送8000回のゲストでコンビとして29年ぶりに出演し、放送終了の3月までの不定曜日レギュラーを務めた。

ビートたけし

  • 『お笑いスター誕生』時代に草野球の助っ人要員としての始まりで交流のあったビートたけしを元祖マルチタレントの先輩として尊敬している。このことはとんねるずの著書に記載されている。
  • 若手の頃、お笑いスター誕生出演後、偶然飲み屋で会ったたけしから「東京芸人、頑張れよ!」と激励されたことがある。この言葉には「当時はたけし後の東京の漫才師で大ブレークした者が大阪芸人に比べ少なかったため、とんねるずには東京芸人の火を消さないように」とのメッセージが込められていた。
  • ブレイク後、オールナイトニッポンの第一部担当パーソナリティー全員が集まるスペシャル番組で共演した際には、恐縮して静かなとんねるずに対して、たけしは歌を披露し「歌だして、とんねるずの人気を落としてやろうと思ったけど、俺はムリだな」と発言し、とんねるずを苦笑させている。現在も交流はつながっており、年1回程度、『とんねるずのみなさんのおかげでした』スペシャルで共演している。
  • たけしの最初の弟子であるそのまんま東(東国原英夫)とは、彼がまだたけし軍団に入る前に組んでいたツーツーレロレロで同時期に『お笑いスター誕生!!』に出場していた戦友であり、深い交流関係にある。『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』のレギュラーでもあった。
  • なお、たけしの芸風からの影響はほとんど受けていない。2012年秋、『日曜ゴールデンで何やってんだテレビ』では、レギュラー番組としてたけしと石橋が共演を果たした

志村けん

  • 石橋の中学生素人時代の相方(島崎伸一・現制作プロダクション経営)がドリフターズの付き人になったことから、志村けんは 当初石橋と付き合いが深かった。しかし後に木梨との付き合いが深まり、木梨自身もキャラクター設定、コントの作り方などで志村から影響を受けたこともあ り、一時は「コンビ結成」の噂が立つほどだった。
  • この件について石橋自身が志村本人に抗議して終息した。ただこの付き合いの過程の中で、とんねるずはイザワオフィスとつながりを強め、これが後の独立へとつながる。
  • 『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」等で共演を果たしている。

エピソード

日本テレビ系番組でのエピソード・ハプニング

  • 『歌のトップテン』にて、「やぶさかでない」の歌唱中にカメラを強奪するというハプニングがあった。当時の司会者徳光和夫と石野真子、さらには番組スタッフに迷惑をかけてしまい、のちのマネジャーが番組終了後に謝罪した。先にカメラを強奪したのは木梨だが、石橋もつられて強奪。木梨が石橋の局部を映していた。
  • 正月の特別番組『とんねるずの仁義なき花の芸能界全部乗っ取らせていただきます』では馬風師匠(鈴々舎馬風)と石橋との遺恨が演出のひとつとして勃発し、銭湯で石橋の襲撃を受けた馬風師匠は逃げる石橋を裸で追った(この他にも、ドッキリ企画で相模湖に落とされたことがある)。なお、この番組では笑福亭鶴光やマイケル富岡なども同じ企画で湖に落とされている。

TBS系番組でのエピソード・ハプニング

ザ・ベストテン

  • 「一気!」の歌唱中にテレビカメラを倒している。石橋は弁償を考えたが、テレビ局にとってはこのようなアクシデントもそう珍しいことではなく、また故意にやったわけではないと判断され、結局は保険によって解決された。
  • 1985年10月17日の400回記念、日本平(静岡市清水区、当時は清水市) からの生放送に出演。とんねるずがスタッフの担ぐ御輿の上に乗り、客席の間の通路を通ってステージに向かう演出だったが、神輿に観客が殺到して衣装を引っ張るなどしたために石橋が御輿に乗れず、激高して観客に掴みかかる事態にまでなった。ステージ上でも石橋は怒りが収まらず「ふざけんじゃねぇぞ!この野郎!!」、「てめぇら最低だ!!」と吐き捨てて衣装の飾りを客席に投げつけたり、怒鳴り声で『雨の西麻布』を歌った。なお、この放送翌々日に放送された 『オールナイトフジ』にて、番組宛に数百本の苦情電話が寄せられたことを石橋が明かしている。当時の「オールナイトフジ」は静岡にもネットされており、地元の視聴者への謝罪も同様に本人達から行われていた。
  • 1987年10月1日の500回記念、仙台からの生放送に出演した時、この500回記念出たさに、シングル「おらおら」が初登場時にランクインするよう発売日を合わせたことを公言している。当時出演していたラジオ番組『オールナイトニッポン』でも、リスナーにランクインできるよう、レコードの購入と番組宛てにリクエストを送るよう求めていた。
  • 当時TBSアナウンサーで同番組の司会をしていた松下賢次に向かって、登場直後の石橋が跳び蹴りをしたこともあるが、後に一緒に食事に行くなどして和解している。

クイズダービー

  • 1986年、ギャンブラーとして出場したとき、番組史上初めて第1問でいきなり持ち点3000点全部をはらたいらに賭けようとした。はらは確実に答えると見てこの行動に出たが、司会の大橋巨泉が「おまえらふざけるんじゃないぞ、少しは番組のことを考えろ、はずれたらなくなっちゃうからやめなさい!」と怒られたため、賭けることはできなかった。なお、番組の歴史上第1問で3000点を賭けようとしたのはとんねるずと若山富三郎(とんねるずとは逆で、番組に参加する気が全くなかったという理由)のみである。なお、とんねるずは後に『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)で、クイズダービーのパロディである「トークダービー」の企画を始めることになる。

フジテレビ系番組でのエピソード・ハプニング

オールナイトフジ

  • 1985年1月19日「一気!」の歌唱中、興奮した石橋が1台1500万円するテレビカメラの雲台を強く握って揺さぶっているうちに、雲台がバランスを崩し横倒しに。正直に石橋の悪ふざけと申請したため、カメラはフジテレビが掛けていた保険では修繕されなかった。それから数年はフジテレビのNG名場面集番組などでその場面が、倒したカメラを前におののく二人の姿と共に、繰り返し流されている。また同番組では「青年の主張」 を歌いながら、建物2階分程度の高さのセットの上や、天井から吊り下げられていた照明によじ登るなどのパフォーマンスを行い、1989年3月26日の放送 では登場時にフロアサブへよじ登ろうとして転倒、親指を突き指している。セットの上によじ登った際は、カメラクレーンに乗り移り、救助されている。カメラ 転倒事件から約30年後の2014年11月3日放送の『ライオンのごきげんよう』にゲスト出演した際、石橋が「カメラは倒したのではなく、カメラのクレーンを持った際、カメラが誤って浮いてしまい倒れた」と釈明している。
  • 1986年4月3日、石橋は泥酔状態で出演した作家の野坂昭如か ら平手打ちをされそうになる。さらに、野坂が石橋の家庭環境を持ち出してなじり始めたことが発端で、暫くはお互いが睨み合っていた。なお補足として、実際 には平手打ちでは無く拳を握ってのパンチで当たっていたが、若い石橋は当たる瞬間に上体を逸らし除けたこともあり、さらに生放送で石橋が司会進行中という こともあって、その場はとりあえず取り繕って進行されたものの、CM中に野坂はスタジオ外へ退出した。

夕やけニャンニャン

  • 「ニャンニャン腕相撲」で、恒例の木梨の「ロッキー!」の掛け声をきっかけにした大騒ぎに乗じて石橋に跳び蹴りをした観客の一人を、石橋とマネジャーのボブ市川がはがい締めにしたことがある。
  • 同じく「ニャンニャン腕相撲」で、石橋の服に観客からケチャップをかけられ、番組終了後に観客を全員残してVTRを確認した後にスタッフと共に説教を行ったことがある(ケチャップ事件)。

夜のヒットスタジオ

  • 番組リニューアル直後の1985年4月17日放 送に「一気!」で初登場。以来、1989年にかけて、20回以上にわたり番組に出演し、さまざまな話題を提供した。石橋・木梨ともに『ベストテン』と同様 に『夜ヒット』に対しても相当の思い入れがあり、「みなさんのおかげでした」など自身の番組ではこの番組に関連したエピソードをよく紹介している。
  • コーナーのひとつであるオープニングメドレーではヒッピー風、羽織袴姿などといった怒髪天な衣装で登場し、次に登場する歌手の持ち歌をあえて音程を全て外して歌ったり、DJ風のアナウンスで次の歌手の紹介を行うなどの振舞いを行っていた。
  • 番組を見ていた美空ひばりから放送終了後2人に電話がかかってきて、深夜であるにもかかわらずひばりの自宅に呼び出され、番組内での行き過ぎたパフォーマンスなどに対して説教を受けたことがある。
  • 「オールナイトフジ」同様のカメラいじりパフォーマンスを画策したものの、プロデューサーの疋田拓の持つあまりの威圧感に萎縮してしまい、カメラ転倒パフォーマンスを行うことはできず、石橋がカメラに近づき、木梨が「危ねえぞ!」と注意するに留まっている。
  • 1986年6月、「やぶさかでない」での出演時に、歌が佳境に差し掛かった辺りで意図的な演出として、共演していた大勢の女性バックダンサーに一 斉に襲いかかられ、石橋はズボンを脱がされ、下半身はブリーフパンツ一枚という姿になり、その姿のままスタジオを走り回って歌を締めくくるという「オチ」 が付いた。これには、視聴者から賛否両論の意見があったようで、番組史上に残る「迷」シーンの一つとして後年の総集編でも定番ネタとなっていた。
  • 1987年3月、「嵐のマッチョマン」で初の番組トリで歌を披露。この際、郷ひろみら他の出演者が途中から歌に参加して、一気にヒートアップし、賑やかに番組を締めくくった。
  • 1987年10月、マンスリーゲストとして出演していた久保田利伸に五木ひろしが後ろから何度も蹴りを入れているのを見兼ねた石橋・木梨の二人は、久保田をかばってすかさず仲裁に入り、事態は収束した。久保田はこの一件以降、とんねるずの二人に対し深い恩義を感じ、親交を持つようになった。
  • 1987年12月、つのだ☆ひろの作品「メリー・ジェーン」をそのままもじった「ジャニー・ジェーン」なる歌を披露。この際、サプライズゲストとしてつのだ本人が階段から「メリー・ジェーン」を歌いながら登場した。

新春スターかくし芸大会

  • 1984年の第21回以降一時期常連のように出場しており、1996年の第33回で司会を務めたこともあった。

1984年の第21回

  • 難極物語 - 二人でペンギンの衣装を着て出演した。ちなみに、当時のプロデューサー王東順に セリフもない台本読みに呼ばれたことが相当悔しくて、ラ・ポルトのサンドイッチが食えなかったそう。これを売れていなかった時代の汚点として、以後、かくし芸に出るたびに「○年前はペンギンでした」と発言している。後に、仮面ノリダーの「ペンギン男」の回では石橋が第2制作部(当時)に乗り込み、王から謝罪を勝ち取っている。

1987年の第24回

  • ワンスアポンアタイムインジャパン - 田原俊彦、中森明菜、とんねるず、中山美穂、中村繁之、前田美波里
  • とんねるずの石橋が最後のシーンで「今、夜中の4時です。~3年前はペンギンでした。」と、ロケのための待ち時間を嘆くコメントを言っていた。
  • 曲芸PartII カマヌンチャク - 中森明菜、とんねるず
  • とんねるずの石橋はここで右手にカマのかすり傷を負ってしまった。「3年前はペンギンでした。」をここでも連発していた。 中森明菜は蛍光灯の上に乗ったまま静止する芸等をやった。

森田一義アワー 笑っていいとも!

  • 1月14日放送にて、名物コーナー「テレフォンショッキング」に黒柳徹子が1984年3月に記録した46分を上回る48分22秒出演。その中でタモリに直訴し、番組レギュラーになった。なお、その未公開シーン(19日)で、「(残り)10週なんで、2人で5週ずつ」と宣言した[6]
  • 1月29日放送にて、石橋がレギュラー初出演、水曜日のレギュラーコーナーに次々と参加した。 太田光(爆笑問題)より「転校生を紹介します。帝京高校をタバコを吸って退学になった石橋貴明君です」と紹介、それに対し「迷惑かけないようにします」とあいさつ[7]
  • 2月14日放送にて、石橋が2度目の出演。タモリが「貴明、金曜日はどう?」と質問すると「いいですね。金曜日。俺、金曜日にします」と金曜日出演が決まった[8]
  • 2月24日放送にて、石橋が3度目の出演、転んだ時に骨折したというアンケートで7連続クリアを果たした。
  • 3月13日放送にて、石橋が4度目の出演、タモリ(福岡)、鶴瓶(大阪)、石橋の3人のフリートークコーナーの東京都代表として出演していた。
  • 3月18日放送にて、石橋が5度目の出演。インフルエンザで欠席のバナナマンの日村勇紀に代わり、コーナーの司会をした。
  • 3月31日放送「グランドフィナーレ特大号」ではダウンタウンと約20年ぶりに共演、元レギュラーの明石家さんま・ウッチャンナンチャ

ン・ナインティナイン)との共演も果たした。

その他番組

  • 2001年の『FNS27時間テレビ』 では、石田弘(通称ダーイシ)に扮した石橋が港浩一(通称小港)に扮した木梨とのゴルフパター対決で、石橋がわざと大振りでスイングしたゴルフボールが大 型モニターに直撃し大きく割って破壊している。しかしこの時はオールナイトフジのようには動じず石田と港のキャラを演じつづけ笑いをとっていた。
  • 2008年10月29日、矢島美容室が『笑っていいとも!』に出演した際、「曜日対抗いいとも!選手権」にて、ストロベリーが競技中に風船を割ってしまうハプニングが発生した。生放送であるため番組放送内に再度行うことができなくなり、放送終了後に再チャレンジすることとなった。

テレビ朝日系番組でのハプニング

ミュージックステーション

  • 1988年3月11日放送で、『炎のエスカルゴ』を当時のテレビ朝日六本木センター屋上で披露した際、金網のフェンスをよじ登り、石橋はフェンスの上にまたがり、木梨に至ってはフェンスの外に落ちてしまい、スタジオでこの様子を見ていた諸星和己は唖然としていた。エンディングでは、木梨が指を切ってしまったため、靴下をギプスする形で登場し、「26にもなって準備体操なしにやったから」と発言した。
  • 1994年12月9日放送では、派手な衣装で登場。「ガニ」を絶叫しながら披露し、セットを破壊した。

その他番組

  • 1989年1月30日放送の『大爆笑!テレビ30年夢のオールスター大集合 (生) スペシャル』 では、他の出演者がオリジナルソング(番組内では『お祝いの歌』と表す)を普通に歌っていたのに対して、木梨が勝手に歌詞を変えて歌い始めてしまい、会場内からは大爆笑が起こった。司会の芳村真理は、もう一度歌うよう促すも変わらず、呆れられ、もう一人の司会であったタモリからは「無茶苦茶な歌ですね」と 発言していた。このとき石橋が、ビッグバンドから借りたエレキギターで弾くふりをしたため、タモリからは「ギターの弦が切れた」と伝えられた。

過去の出演作品・CDなど

  • 版権については厳しく、例として2004年に発売された『夕やけニャンニャン』のDVDでは出演箇所はモザイクで消され、CSで再放送されている番組(『ひょうきん族』など)でも彼らのシーンはカットされるか、放送されない回も多い。TBSの『王様のブランチ』の瞬間最高視聴率ランキングでも、『うたばん』での石橋部分を極力カットするなどしていた。また自身の冠番組の再放送や、外部への二次使用的な映像放出も少ない。
  • これは一説に、版権管理に厳しいイザワオフィス傘下で独立し事務所を構えたことや、それまでにも所属事務所を転々としてきたため版権関係が複雑化しているのが原因とされている。
  • 実際、ベストアルバムが発売される際には「○○所属時代のベストアルバム」と分類されることがほとんどである。記載されている通り過去映像などはほぼ再放送はされていなかったが、2012年1月1日から1月3日までCS放送のホームドラマチャンネルでとんねるずがデビュー当時に出演していた日本テレビの『お笑いスター誕生!!』の選りすぐりの3本を放送した「お笑いスター誕生!! セレクション」の1月3日に放送されたとんねるずが10週勝ち抜きグランプリを獲得した放送分が放送された。

秋元康との出逢い

  • 1983年に新事務所所属となった頃、とんねるずを面白いとテレビ局の一室に呼ぶよう手配した人物がいた。それが当時新進の放送作家だった秋元康であり、ネタ見せ後そのネタからつかこうへいの 影響を洞察した秋元は本人らにこれを確認するが、彼らはつかこうへいの名前すら知らなかった。その事実が秋元を驚かせ、それを機に秋元はとんねるずに可能性を感じ、以後彼らの筆頭ブレーンとして番組構成や作詞をはじめとした様々なアイデアをとんねるずと共に形にしていくこととなる。

芸風

コンビ芸人だがボケツッコミの役割が特に分れていないスタイルである。

デビュー当時のプロフィールには「カリスマ芸人」と記載していた。

二度目の下積み時代(新宿御苑のパフォーマンスバー「昆」時代など)を経て破天荒な芸風へと変わっていった[9]


『オールナイトフジ』出演以降に若さとエネルギー全開「ナ!わけだァ!」節炸裂の過激トークや、スタジオで所狭しと暴れるなどの行動が日常的だったが、同時に人気を獲得することとなった。特に『夕やけニャンニャン』ではアイドルによって態度が激しく違うため、自分が好みのアイドルが不本意なイジられ方をすると「あの石橋や木梨の態度は絶対に許さない」とアイドルファンからの不満を買った。

一方でスタジオ観覧の若者が「とんねるずに蹴られた」ことを自慢する時代でもあった。

とんねるずのトークの中にはその時代の流行を反映した言葉が多く用いられている。例えば「○○みたいな。」と語尾に「みたいな」を付ける言葉は若者中心に使われているが、これは主に東京近郊の女子大生が使う言葉を敢えてとんねるずがテレビで誇張して用いることで、全国的に広まった。

とんねるずにとっ ては、親交の深い放送作家、玉井貴代志の口癖である「みたいなみたいな」を真似ていただけだったらしい。


ほかにも『ねるとん紅鯨団』から端を発した「ねるとんパーティ」「ツーショット」、『ねる様の踏み絵』で使われた「元サヤ」など、彼らが発信元となった言葉は数多い。また、今では普通に使われる「○○系」「○○状態」や、「人間関係・恋愛関係」などの正規の使い方ではなく、テレビ関係・スポーツ関係等ジャンルを括る場合などに用いる「〜関係」なども彼らが発信源である[10]


また芸能界・テレビ界でよく使われる専門用語、いわゆる「業界用語」を多用して広めた経緯があり、今では一般でも使われている事がある。

「内輪ネタ」もとんねるずの特徴である。ただし、これは一部の放送関係者だけに理解できる発言であることも多く、その発言内容は一般視聴者にはわかりづらいものである事も多かった(古くは『オレたちひょうきん族』でもこの傾向は見られ、当時は「楽屋落ちネタ」と呼ばれた)。

また、『とんねるずのオールナイトニッポン』ではトーク内容がほとんどスタッフ(放送作家、マネージャー、プロデューサー、高校時代の友人など)の話題で占めるため、ハガキ職人の書くネタの内容もその話題を受ける格好で放送関係者絡みのネタが目立った。


業界の慣例だった製作会社社員・スタッフに支給される弁当とタレントの弁当にあった区別をとんねるずが取っ払った。そのスタイル「各業界に壁などない」「スタッフ、素人が同じ舞台に居る」という形が『ねるとん紅鯨団』、「野猿」の結成であり、その「一般人、スタッフネタ」から生まれた番組企画、コントも多数企画された。

舎弟軍団“もっこりーず&ぺにーず”

『オールナイトフジ』のとんねるずコーナーで募集を行った舎弟軍団。応募条件は大学生。ここでも高卒が大学生を自由に扱う下克上美学が炸裂。当初は4チーム存在していたが、途中で突然解散を告げられ『もっこりーず&ぺにーず』だけが残る。

  • 石橋曰く「俺達のガンバルマンズだ!」 との通り、カニを口でくわえたりさせられたり体力型の試練ゲームをチーム対戦型で『憲武チーム』と『貴明チーム』に振り分けて展開した。

メンバーは古賀薬 局、ボッキー潮田等。ユニフォームはもっこりーずが上半身裸で赤いタイツ、ぺにーずが同じく黒いタイツ。双方登場のテーマ曲があり、もっこりーずが『♪ も、も、も、も、もっこり〜ず〜♪』とボッキー潮田がフォークギターを弾きながら本日のテーマに合わせた歌詞にアレンジして熱唱しつつ皆で組み体操のよう な振り付けを決める。というもの。対してぺにーずは宴会ノリで『♪ぺぺぺい、ぺぺぺい、ぺぺぺいぺい♪ぺにーずの、ちょっといいとこ見てみたい♪(アレン ジが入り最後に)あんたはお強い♪』である。特定のメンバーはそのまま夕ニャンにも出演。このメンバーの中にはそのままオールナイターズと結婚したメンバーもいる。オールナイトフジの最終回に可能な限りのメンバーを集め一度だけ再結成された。

それから時を経て、2005年9月に放送された『とんねるずのみなさんのおかげでした』の特番「とんねるずの石田さんのおかげでしたオールスター大 感謝祭」に古賀とボッキーが出演。とんねるずの二人と再会を果たすが、その際木梨に「懐かしすぎて誰かわかりません」と言われた。なお、ボッキー潮田のみ 現在音楽活動を東京都内を中心に継続している。

下克上タレント

とんねるずに関しての初期文献広告批評とんねるず特集では、彼らを“下克上タレント”と評している。芸人間では通常上下関係に関しては非常に厳しいが、とんねるずは“生意気”“成り上がり”“下克上”など媚びぬことをスタンスに定めている部分があり、志村けんや笑福亭鶴瓶などの先輩芸人相手にすら、番組中志村けんへ突然攻撃を仕掛けたり、鶴瓶へ「ねぇ、笑福亭」と屋号だけで名前を呼ぶなど、なかば意図的に芸人の礼儀を裏切ることがある。

しかしとんねるずは体育会系であり、控え室では「志村さん」「鶴瓶師匠」と呼びきちんと礼を踏まえている。

元祖アイドル呼び捨て芸人

お笑いタレントがバラエティ番組の中で出演アイドルを面と向かって呼び捨てにする場面は、礼儀として、また業界の暗黙のルールとしても“御法度” だった。これは旧世代の芸人/漫才師のあり方に由来する。

彼らの仕事は演歌歌手の前座が多く、正月の隠し芸大会などでもあくまで歌手や人気アイドルを引き立てる幇間であり、“歌手のおかげで食べさせてもらえる”という色物意識が強かった時代の名残である。これは、萩本欽一、タモリビートたけしでさえも、誰かを呼び捨てにするのは、本やラジオ、テレビの各メディアで本人がいない場所に限られていた。これは明石家さんまを含めた漫才ブーム系芸人でも同様に守られており、呼び捨てはあくまでも芸人の先輩後輩や仲間の“同業者間”でのみ許されるものだっ

これを侵せば業界から抹殺されかねないほどの約束事とも言え、対スポーツ選手でもこれは同様だった。

この状況の変化は、ビートたけしの登場から始まっている。 大学生活を経験したという意味で、当時の芸人としては異色の存在だったビートたけしは、歌手やアイドルが実は間抜けで頭が悪いという面をどんどんネタにすることと、本格的な哲学をも怖じずに知的に語る活躍によって、お笑いタレントの地位を徐々に上げていった。

たけしが開拓したマルチタレントカテゴリに位置するとんねるずのルールは明快で、体育会系のルールをそのまま芸能界へ持ち込み“年齢が上か下か”という点にのみ基準を置いている。年下は問答無用で呼び捨て、そしてスタッフや関係者には目上であっても“ちゃん”付けかあだ名を付けて呼ぶというものである。素人系のオールナイターズからおニャン子までは躊躇なく呼び捨て、アイドルに対しても、当初から比較的絡む率が高かったシブがき隊辺りから、「薬丸、テメー!」のような呼び捨てもハッキリと確認されるようになる。それ以後は、必要に応じて呼び捨てにしている。

人物

  • 趣味は野球、ゴルフ、映画鑑賞、酒、料理
  • 前職はホテルマンで、センチュリーハイアット東京に勤務していた[1]
  • 結婚歴は2回で子供は計4人。元妻である元モデルのまさよとの間の娘は女優の石橋穂乃香[11]。妻は、女優の鈴木保奈美。
  • 近年力を入れているのがテニス。『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』内のテニス対決で松岡修造に勝利するべく、2011年より神和住純らのコーチを受けるようになり、以後「趣味はテニス」と公言するまでになった。また同番組が縁で錦織圭と親交が生まれ、2012年には『情熱大陸』の特別企画「石橋貴明が撮る錦織圭」のために7ヶ月に渡り錦織に密着取材している(同年11月放送)[12]
  • 2005年までに公表されていた高額納税者ランキングにおいて俳優・タレント部門のトップ常連であり、相方木梨と共にランキング上位に顔を出していた。1980年以降の20年間の芸能人生涯所得ランキングは、1位の小室哲哉に続き2位にランキングされている。
  • 浜田雅功(ダウンタウン)の子供と石橋の子供が通う学校が一緒であったことを浜田が明かしている。浜田によれば、「石橋さんとは学校で会ってた。普通の時は普通にしゃべってるよ。(番組で)共演してないからNGちゃうんかって思われてる」と語っている[13]
  • らっきょが大嫌い。本人曰く「臭い」「どんな美人でもらっきょの匂いがしたらダメ」との事。あまりに石橋がらっきょ嫌いなため、一緒にいる木梨までらっきょ嫌いになってしまった。
  • 巨乳が嫌い。番組で巨乳が自慢の素人女性に会った際に、最初は我慢していたが、女性が何度も自慢するため、ついに耐えきれず後ろを向いてえずいていた。涙目になりながら「俺本当巨乳ダメなんだよ〜」と語っていた。
  • ドラマをよく見ていて特に『拝啓、母上様』が大好きで、『拝啓、父上様』を観ていた。食わず嫌い王で二宮和也が出演した際に「なんで俺出してくれなかったの?」と嘆き、さらに出演していた横山裕を大絶賛していた。しかし『うたばん』で横山に会った際に「ドラマですごく良かったのに普段はチャカつくんだよなぁ」とガッカリしていた。

音楽活動

オリコン調べのお笑いタレントの歴代シングル・アルバム総売上枚数(企画ユニット系も全て含む)は、歴代1位となっている。

変遷

1980年代


1981年、テレビアニメ『新・ど根性ガエル』の主題歌「ピョン吉・ロックンロール」を初のシングルとして発売。翌年、1982年には徳間ジャパンに移籍して企画物シングル「ヤバシびっちな女(め)デイト・ナイト」をリリース。

その後[[コンビの人気が開花し始めた時期に、ビクター音楽産業に籍を置き、1984年12月リリースの「一気!」(一気ブームを巻き起こす)を皮切りに音楽活動が本格始動していく。自身最初のオリコンTOP10入り(5位)となった「雨の西麻布」で歌手としての知名度も一段と上がり、ランキングの上位常連となっていった。

評価を受けた彼らは、数々の音楽賞レースにノミネートされ、賞を獲得していった。(受賞歴 を参照。)

当時は多くの音楽番組にも出演していき『ザ・ベストテン』(TBS)、『夜のヒットスタジオ』『FNS歌謡祭』(フジテレビ)、『トップテン』(日本テレビ)、『ミュージックステーション』(テレビ朝日)などに出演。

86年5月リリースの「やぶさかでない」から、レコード会社をビクター音楽産業からキャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)に移籍している。

音楽活動開始初期(ビクター在籍時からキャニオン移籍初期)は「一気」などのコミックソングのような曲を歌っており、「雨の西麻布」「歌謡曲」「迷惑でしょうが…」などの日本歌謡、「嵐のマッチョマン」「炎のエスカルゴ」などのラテン系ディスコソングなど、様々なジャンルを展開。

1989年11月7日には「とんねるず NO TEUCHI」と題して東京ドームでの単独コンサートを行っている。


1990年代


歌手活動に重きを置いていたのは1980年代半ばから後半の頃であったが、セールス的に大きく飛躍したのは本業であるお笑いタレント活動に再び軸足を置いてからのことであり、シングル「情けねえ」をリリースした1991年以降である。

以前は初登場で上位にランクインするものの、数週でのランクダウンという売り上げ推移傾向は否めなかったが、「情けねえ」では数か月もの間オリコンチャートの上位に位置するロングヒットを記録。同曲にてその年の第22回日本歌謡大賞の大賞受賞、ついには第42回NHK紅白歌合戦に初出場し、パンツ1丁で出演して「受信料を払おう」というペインティングをして話題になり、歌手別視聴率2位を記録した。なお1位は大トリの谷村新司だった。

次のシングル「ガラガラヘビがやってくる」では初のオリコン1位を獲得し、ミリオンセラーを 記録する自身最大のヒット曲となった。1992年度の年間シングルチャートでは6位を獲得。当初この楽曲は『とんねるずのみなさんのおかげです』のオープニングテーマ用としてサビのみ書き下ろされ、CD化されるにあたり、その後サビ以外の部分も作曲して発売された。番組オープニングで曲といっしょに映像で 流れていたクレイアニメーションは、その後「がじゃいも」等々で使われる。

その後、「一番偉い人へ」では2週連続1位を獲得。「がじゃいも」でも1位を獲得した。続く「フッフッフッってするんです」もヒット。1990年代に入ってからは「ガラガラヘビがやってくる」や「がじゃいも」などのコミックソングの一方で、「情けねえ」や「一番偉い人へ」などの社会風刺を含んだメッセージ色の強い曲が主体になっていく。


活動休止後(企画ユニット時代)


1996年シングル「おまえが欲しい」のリリースを最後に、「とんねるず」名義での音楽活動は事実上休止してしまっている。しかし歌手活動そのものを辞めたわけではなく、以降も様々なスタイルのユニットを組んで活動を続けている。


生ダラ発ユニット(1996 - 1997年)


三貴・カメリアダイヤモンドのコマーシャルソングとなった「A.S.A.P.」はオリコンランキングでトップ3入りし、売上50万枚を記録した。また定岡正二とデビット伊東との3人組バンドで、作曲に佐野元春が参加した「ANDY'S」(当初のユニット名は「生殺(なまごろし)」だったが、神戸連続児童殺傷事件の影響で改名)も結成しており、シングル「FREEDOM」をトップ10入りさせるなどヒットさせている(全て『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内で結成)。

1997年暮れには、当番組で結成した全ての音楽ユニット(CD発売されなかった「サーフノリダーズ」などを含む)が集結し、合同コンサートを渋谷公会堂で開き完結した。その後、音楽系の企画は「とんねるずのみなさんのおかげでした」に引き継がれていく。『生ダラ』でのユニットは全て石橋か木梨のどちらか一方のみが参加するというユニット形態での音楽活動だった。


野猿(1998 - 2001年)


1998年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で番組スタッフと結成した「野猿(やえん)」で、2年ぶりに2人揃って音楽活動を再開することになる。当時番組のコーナーでとんねるずがKinKi Kidsのパロディをした際、バックダンサーとして踊っていた番組スタッフが2人の目に止まり、「CDデビューあるか?」と話が盛り上がりスタートした。

元々スタッフのみで結成する予定だったが、ボーカルを決めるオーディションを行った際、まともに歌えるメンバーが少なかったために、ボーカル面で不安を感じた秋元の 助言で、一緒に審査していたとんねるずが急遽歌収録に参加することになり、そのまま加入する運びとなった。

当初は1曲のみの限定で始まったが反響が大き く、最終的には98年から01年までの約3年間活動が行われた。この野猿では、メンバーの脱退や加入など、曲リリース毎に様々な展開がなされた。活動期間 内には11枚のシングル、3枚のアルバム、DVDなどがリリースされ、全てのCD、DVDでオリコンチャートトップ10入りを果たす。

NHK紅白歌合戦に も1999年と2000年に2年連続で出場。また1999年には横浜アリーナ、2000年には日本武道館3デイズ、2001年にはコンサートツアー「撤収」を開催し大阪城ホール、名古屋レインボーホール、国立代々木競技場第一体育館3デイズ、更に「完全撤収」と題して同所で追加公演2デイズと大きな会場でのライブも行われた。

この代々木でのライブを最後に野猿は解散(『撤収』と呼んでいる)した。そして撤収して10年の節目を迎えた2011年3月9日には、全ての楽曲(全50曲)の着うた配信を開始した。

野猿撤収後は、再びそれぞれが単独で音楽活動を継続する。


矢島美容室(2008年 - 2010年、2012年3月)


2008年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内でDJ OZMAと「矢島美容室」を結成。7年以上の月日を経て2人が揃って音楽活動を再開。

「矢島工務店」を見てバンドを始めたというDJ OZMAと話が盛り上がり企画がスタートした。とんねるずとDJ OZMAのプロデュースで、ネバダ州から来た母娘による3人ユニットである。楽曲は作詞が脚本家・放送作家の遠藤察男が担当、作曲はDJ OZMA自らが担当している。

デビュー曲「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」は、音楽配信で170万ダウンロードを記録。オリコンCDチャートでトップ3入りのヒットを飛ばす。同年12月20日には国立代々木競技場第一体育館でライブを開催。

その後も活動は継続され、計5枚のシングル、2枚のアルバムがリリースされている。2010年にはスクリーンデビューを果たす。彼女達がデビューを果たすまでを描いた映画『矢島美容室 THE MOVIE 〜夢をつかまネバダ〜』が4月29日から全国公開。全国上映に先駆けて3月22日に東京国際フォーラム、4月11日に建設中の東京スカイツリーで初めてのイベントとなった映画公開イベントを開催。

また舞台挨拶が東京、福岡、大阪、名古屋で開催された。 その後、フジテレビ社屋移転15周年音楽番組『とんねるずが生放送!音楽番組全部見せます!〜名曲で元気になろう!』にて復活。「ニホンノミカタ」を披露した。


現在


特に目立った歌手活動は行っていないが、ここ数年自身のテレビ番組や、木梨のソロライブ「NORITAKE GUIDE 5.0」に石橋がサプライズ登場し久しぶりの客前ライブを行ったり、『FNS歌謡祭』に2012年から3年連続で出演するなど、再び二人で歌のステージに 立つ機会が増えている。

作家陣

とんねるずや関連ユニット(野猿など)全般の楽曲の作詞を担当している秋元康、作曲を担当している後藤次利などのほか、のちに美空ひばりの「川の流れのように」を秋元と共に生みだすことになる見岳章や、友人であるアーティスト(高見沢俊彦、玉置浩二、藤井フミヤ、久保田利伸)らが楽曲を提供している。

これは、ビクター時代から一貫しており、「バックの音源をしっかり作って、その中でとんねるずを自由に暴れさせる」という音楽制作コンセプトがあったためである。

1995年にリリースしたアルバム『おまえ百までわしゃ九十九まで」』は歌謡活動10周年を記念するアルバムとあって武豊、野茂英雄、畑正憲、由利徹、所ジョージ、落合信子(落合博満の妻)、アントニオ猪木などが詞を提供している。これは『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の企画として、制作から完成までの過程が放映されていた。

またアルバム収録の「ブラックキャッツ!」では石橋と木梨の共作での作詞・作曲、シングル「YAZAWA」のカップリング「かき氷は宇治金時」では作詞石橋、作曲木梨(実際は後藤次利が作曲の大部分をサポートしているがクレジットはされていない。しかしこの件に関して後藤は了承している)という自作曲も少ないながら存在する。

その他

音楽活動時のツアーバックバンドにはDREAMS COME TRUE結成前の吉田美和(1988年参加)と中村正人(1985年 - 1988年参加)の2人が在籍していた。中村は当時デビュー前の吉田に、大勢の観客との一体感、雰囲気を体感させるため、バックコーラスとしてとんねるずのライブツアーに同行させた。

石橋が自身のラジオ番組で、CDが一時期売れなくなったタイミングと相反して、ちょうど巷では光GENJIが人気で、歌番組で歌いながら踊っている彼らのパフォーマンスを目の当たりにして、「俺らは歌を諦めてお笑い一本で頑張るしかない」と思ったきっかけになったらしく、その後TBSの音楽番組『ザ・ベストテン』の真裏で『とんねるずのみなさんのおかげです』 を始めることもあり、今後『ザ・ベストテン』に一生出られなくなることを覚悟でお笑いだけの道を歩み始めたことを語ったことがある。

番組は開始と同時に大成功し、約1年後「ザ・ベストテン」は打ち切りになる。(ちなみに「とんねるずのみなさんのおかげです」と『ザ・ベストテン』が被っていた期間は、シング ルの発売をしばらく控えるなど配慮していた。)


2007年11月8日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で、石橋が秋スペシャル(詳細は番組記事参照)で久しぶりに「一番偉い人へ」を披露した際に手ごたえを感じ、石田弘と相談した結果、音楽活動再開を検討していると語った。また、同じフジテレビ発の3人組ユニットでもある羞恥心を半ばネタではあるものの敵対視している節もあり、2008年10月30日に『ナインティナインのオールナイトニッポン』に出演した際も、石橋は「羞恥心をやっつける」とまで発言していた。

受賞歴

素人時代

  • TVジョッキーザ・チャレンジ第3代チャンピオン獲得
  • TVジョッキーザ・チャレンジ第1回グランドチャンピオン大会にて初代グランドチャンピオン獲得

デビュー後

  • 1981年 お笑いスター誕生!!第2回ゴールデンルーキー賞『激突シリーズ』特別敢闘賞
  • 1982年 お笑いスター誕生!!10週勝ち抜き第6代グランプリを獲得
  • 1985年 第18回全日本有線放送大賞上半期新人賞「一気!」
  • 1985年 第18回日本有線大賞最優秀新人賞 「雨の西麻布」
  • 1985年 第18回全日本有線放送大賞最優秀新人賞 「雨の西麻布」
  • 1985年 第14回FNS歌謡祭特別賞
  • 1985年 第11回全日本歌謡音楽祭話題賞
  • 1985年 第23回ゴールデン・アロー賞芸能賞新人賞
  • 1986年 第14回銀座音楽祭特別賞
  • 1986年 第5回メガロポリス歌謡祭特別賞
  • 1986年 第12回全日本歌謡音楽祭特別賞
  • 1987年 第10回日本アカデミー賞話題賞 「そろばんずく」
  • 1988年 第26回ゴールデンアロー賞芸能賞
  • 1989年 第6回ATP賞'89タレント部門賞
  • 1989年 第6回ATP賞'89番組部門賞 「ねるとん紅鯨団(IVSテレビ制作/KTV)」
  • 1991年 第22回日本歌謡大賞大賞 「情けねえ」
  • 1996年 第38回日本レコード大賞企画賞(憲三郎&ジョージ山本) 「浪漫~ROMAN~」
  • 1999年 第41回日本レコード大賞企画賞(野猿) 「STAFF ROLL」

主な出演番組

とんねるず

テレビ

  • とんねるずのみなさんのおかげでした(1988年10月 - 、フジテレビ

ラジオ

  • とんねるずの一気スペシャル 天狗の友引大放送(1985年8月、ニッポン放送)
  • とんねるずのオールナイトニッポン(1985年10月 - 1992年10月までの火曜1部を担当、ニッポン放送)
  • とんねるずの二酸化マンガンクラブ(文化放送)
  • とんねるずのちゃだわ王国(TBS)
  • も~お たいへん とんねるず(ニッポン放送)

CM

  • 森永製菓、おっとっと・ハイチュウ・チョコボール・パックンチョ・ドーナッチョ・ゾロ・アーモンドボールなど。CMデビュー作品。(1980年? - )
  • ミドリのセパラー(1982年)
  • セガゲームス(当時:セガ・エンタープライゼス) SC-3000 (1983年)
  • 出光興産、SKIDGUARD(子会社が製造していたオリジナルブランドのタイヤ)CM、91’夏の洗車篇CM、ゼアス及びスーパーゼアスガソリン、出光 UCARD、まいどカード、出光カード、企業CM(89’動き始める・MOTION篇、94’なんで?出光なんで?篇他)
  • カシオ、WHAT'S NEW
  • ダイハツ工業、シャレード「ラブリー」「ル・ブラン」 (1986年)
  • 日清食品、焼そばUFO
  • 富士フイルム、ビデオテープ「DCシリーズ」(SUPER HG、SUPER AG)
  • ミズノ、ランバード、ランバードプロケードED
  • UCカード、CLUB[ef]
  • ヤクルト本社、珈琲たいむ
  • 資生堂、メンズムース、ウェットフィニッシュ、メンズリンプー
  • サッポロビール、黒ラベル
  • サントリー、レゼルブワイン、モルツ
  • ミツカン、ミツカン酢、おむすび山
  • パイオニア、LASER DISK「CLD-100」(1989年)、「CLD-110」(1990年)、「CLD-313/CLD-616/CLD-919」(1990年)
  • 東芝、BAZOOKA
  • リクルート、週刊就職情報
  • NTTパーソナル、パルディオ
  • 清水建設
  • インターナショナル・トレーディング(G.T.ホーキンス日本総代理店)、ホーキンストラベラー
  • ケンタッキーフライドチキン
  • 日本中央競馬会(JRA)、夏競馬
  • 日産自動車 ブルーバード販売会社(1991年)
  • スズキ カルタス(1990年)「とんねるずのみなさんのおかげです」の企画CM。当時のトヨタ・セリカのCMのパロディ。
  • マツダ ファミリア (1995年)
  • ROUND1(1999年)
  • 明治生命「ライフアカウントL.A.」(2000年 - 2001年)
  • ロッテ、SPASH(2008年9月26日- )矢島美容室として出演。長澤まさみ・DJ OZMA・古田新太と共演。

石橋貴明

ドラマ

  • PUFFYのドラマ ワイルドでいこう(1997年9月30日、日本テレビ
  • 今夜、宇宙の片隅で(1998年7月 - 9月、フジテレビ) - 樋口紀人 役
  • レッツ・ゴー!永田町(2001年10月 - 12月、日本テレビ) - 筒井五輪 役
  • ブラックジャックによろしく(2004年1月3日、TBS) - 宇佐美孝志 役
  • 星野仙一物語 〜亡き妻へ贈る言葉〜(2005年1月2日、TBS) - 星野仙一 役
  • まるまるちびまる子ちゃん(2007年9月27日、フジテレビ) - ダーイシ男 役

映画

  • そろばんずく(1986年8月、東宝) - 春日野八千男 役
  • メジャーリーグ2 (1994年6月、東宝東和、ハリウッド映画) - タカ・タナカ 役
  • 悪魔たち、天使たち (1995年5月、東宝東和、ハリウッド映画)- ヨシ・タカムラ 役
  • ウルトラマンゼアス (1996年3月、松竹) - 大河内神平隊長 役
  • ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影 (1997年4月、松竹) - 大河内神平参謀長 役
  • メジャーリーグ3 (1998年6月、東宝東和、ハリウッド映画) - タカ・タナカ 役
  • 銃声 LAST DROP OF BLOOD(2003年6月14日、ザナドゥー) - 萩原正一 役
  • スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ(2007年、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント) - 弁慶 役

CM

  • 大塚製薬「UL・OS(ウル・オス)」(2012年4月21日 - )
  • DMM.com証券「DMM FX」(2014年11月14日 - )ローラと共演[7]。

ラジオ

  • 石橋貴明のレディオイシバシーノ(仮)(2001年10月7日 - 3月25日、ニッポン放送)
  • 石橋貴明のレディオイシバシーノ2(仮)(2002年10月11日 - 3月21日、ニッポン放送)

音楽活動

  • A.S.A.P. - 「Little Kiss」名義 (1997年2月14日発売 - ポニーキャニオン)

作詞:秋元康、作曲:後藤次利、編曲:後藤次利、コーラスアレンジ:坪倉唯子 『銀座ジュエリーマキ』CMソング 『日本テレビ「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」』発の工藤静香とのデュエットソング。

  • FREEDOM - 「ANDY'S」名義 (1997年7月23日発売 - ポニーキャニオン)

作詞:ANDY/SHOW/JOSE/MOTO、作曲:佐野元春、編曲:佐野元春 『日本テレビ「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」』発の定岡正二、デビット伊東との3人バンド。

  • 関東裸会の唄 - 「関東裸会三羽烏」名義 (2001年2月14日発売 - avex trax)

作詞:橋貴、作曲:後藤次利、編曲:後藤次利 『フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」』内のコントから発生した3人組ユニットの1stシングル。

  • 答 -answer is my life- - 「関東裸会三羽烏」名義(2001年11月21日発売 - BMGファンハウス)

作詞:橋貴、作曲:後藤次利、編曲:後藤次利 『日本テレビ「レッツ・ゴー!永田町」』挿入歌 2ndシングルはレコード会社移籍に伴いメンバーの入れ替えもあった。

  • Smile on me - 「SEIKO with Crazy.T」名義 (2004年7月7日発売 - ソニー・ミュージック)

作詞:Shinji Harada、作曲:Shinji Harada、編曲:Shinji Harada 『TBS系列「野球中継」』テーマソング&『MLB主義』エンディングテーマ TBSの野球中継や横浜ベイスターズを盛り上げるために作られた松田聖子とのデュエットソング。

書籍

  • 第4学区(2000年9月発行。集英社インターナショナル・1999年4月 - 9月にフジTV系で放映されたものと、未放送分を収録したもの)

映像

  • 銃声 LAST DROP OF BLOOD (2003年11月21日)
  • ブラックジャックによろしく〜涙のがん病棟編〜(2004年7月22日)
  • 星野仙一物語 〜亡き妻へ贈る言葉 (2005年9月25日)
  • メジャーリーグ2 (2000年6月21日)
  • メジャーリーグ2 (2004年3月5日 )
  • メジャーリーグ お買い得パック <初回限定生産>(2004年3月5日)
  • メジャーリーグ3 (2000年7月19日)
  • メジャーリーグ3 (2004年3月5日)
  • メジャーリーグ2 <期間限定生産> (2005年9月30日)
  • メジャーリーグ2 <期間限定生産> (2006年6月2日)
  • メジャーリーグ3 <期間限定生産> (2006年6月2日)
  • イシバシ・レシピ 前編(2005年2月16日) - 2003年よりTBS系列にて放送分全24回の前半12回分を収録。
  • イシバシ・レシピ 後編(2005年2月16日) - 2003年よりTBS系列にて放送分全24回の後半12回分を収録。
  • イシバシ・レシピ2 (2006年1月18日) - 2005年1 - 3月放送分を収録。

脚注

出典

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 木梨憲武、石橋貴明 『とんねるず 大志』 ニッポン放送出版、1994年 ISBN 978-4594013974
  2. 小林信彦著『時代観察者の冒険』より
  3. 2010年4月26日放送『SMAP×SMAP』の「BISTRO SMAP」ゲスト石橋貴明
  4. 2014年04月03日放送TBS系ラジオ『おぎやはぎのメガネびいき』
  5. 2014年4月7日放送[出典無効]、『笑っていいとも!グランドフィナーレ』の翌日に収録
  6. 『石橋貴明 いいとも出演プラン披露!残り10週、交互に5週ずつ』スポニチ 1月19日 15時30分配信2016年12月1日閲覧
  7. 『石橋貴明 「いいとも」レギュラー初出演はおとなしく「迷惑かけないように」』スポニチ 1月29日13時07分配信 2016年12月1日閲覧
  8. 『石橋貴明 2度目のいいともレギュラー出演「俺、金曜日にします」』スポニチ 2014年2月14日 13時52分配信 2016年12月1日閲覧
  9. 西条昇『東京コメディアンの逆襲』(光文社文庫)
  10. テレビ東京系列 『ソロモン流』 2008年5月11日放送回
  11. “とんねるず石橋長女、穂のか女優デビュー”. サンスポ. 産業経済新聞社 (2008年11月11日)2016年12月1日閲覧
  12. 石橋貴明が錦織圭に7カ月の密着取材!その強さの秘密に迫る!!『情熱大陸』 - テレビドガッチ2012年11月2日
  13. “浜田雅功 とんねるずとの22年前の秘話を告白 出川は不仲説に「ああ、やっと」”. デイリースポーツ(2016年7月29日) 2016年12月1日閲覧

外部リンク

  • +++とんねるずオフィシャルホームページ+++[1]
  • Yahoo!JAPANのプロフィール [2]