ヒロシ

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ヒロシ(ひろし 1972年 - )は、日本のお笑いタレント、漫談師、ベーシスト、俳優である。本名、齊藤 健一(さいとう けんいち)。身長175cm、体重70kg、血液型はO型。

略歴

  • 1972年1月23日、熊本県で生まれる
  • 1990年、熊本県立荒尾高等学校卒業
  • 1994年、九州産業大学商学部商学科卒業
  • 1994年-1997年、吉本興業福岡事務所に所属
  • 1997年-1999年、ワタナベエンターテインメントに所属
  • 1999年-2002年、東京都三鷹市でホストをする
  • 2003年、サンミュージックに所属
  • 2004年、「エンタの神様」に出演し大ブレイク
  • 2004年-2005年、「R-1グランプリ」決勝進出
  • 2006年、舞台「錦鯉」に出演
  • 2014年、ヒロシ・コーポレーションを設立[1]

来歴

 学生時代

1972年熊本県荒尾市出身(福岡県大牟田市生まれ)。幼少期はダンボール遊びが好きであった。

お笑いに興味を持ち始めたのは、小学校2年生の時、クラスメートを祝う誕生日会でドリフターズのヒゲダンスを披露してから。それまでは転校生ということで周囲からいじめを受けていたが、このヒゲダンスがきっかけでいじめが止まった。また小学生の時に漫才ブームが起こり、『ツービート』に憧れていたという。[2]

高校時代には、自分がモテない部類の人間だと自覚し始め、どうすれば童貞を捨てられるのか、どうすればモテるのかということばかり考えていた。

大学卒業後は、半年間保険会社に就職している。マイナス思考で人見知りであったにも関らず、営業職であった。

 芸人デビュー

テレビに出る人間になればモテる」と信じ、根拠のない自信の元に、芸人の道を目指す。デビュー当時は「ベイビーズ」というコンビを結成し、吉本興業福岡事務所に3年間所属。その後東京へ上京。

しかし、2年後、相方からコンビ解散を言い渡される。解散後は、東京都三鷹市でホストを3年間していた。ホスト時代の源氏名は冴神剣(さえがみ・けん)。

その後、足つぼマッサージか4コママンガ家になろうと決意するものの、学校へ通う費用がなく断念。タダでできるということでお笑いの世界に戻る。[3] たまたま読んでいた雑誌に『生島ヒロシ』の見出しがあり、そこからヒロシという芸名を付ける。[4]

 ブレーク

2004年『R-1ぐらんぷり』決勝に出場。『笑いの金メダル』(ABC系)などに出演し、「ヒロシです...」というフレーズとともに大ブレーク。『エンタの神様』でのキャッチコピーは「熊本出身の孤独な芸人」。人気絶頂期には、最高月収4000万円を超えるほどであった。[5]

2015年9月に日めくりカレンダー「まいにち、ネガティブ。」を発売。4万部を突破する。[2]

2016月16日に中野坂上に「カラオケ喫茶 ヒロシのお店」をオープン。

同月、バラエティ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に出演し、視聴者から「こんなにしゃべったっけ?」「トークがおもしろい」と話題になり、再ブレイクを期待する声も高まっている。

芸風

ヒロシは、ホスト風の派手ないでだちで、作りこんだキャラクターを演出し、ワンセンテンスで完結する笑いの究極型を示した芸人である。自身が過去に体験した日常や失敗談などの自虐ネタが中心。基本的な立ち振る舞いは、ポケットに手を突っ込んで、斜め45度下を見つめる体勢をとる。「ヒロシです。」と名乗った後に、自身の自虐ネタをつぶやいて、笑いを誘う。BGMには、スローナンバーやブルースなどがよく使われる。最後に「ヒロシです」が3回繰り返され、ネタが終了する。[6]

  • 「ベイビーズ」というコンビを結成してからは、相方やお客にケンカを売るキレキャラであった。福岡ではそこそこ売れるも、東京ではキレキャラが受け入れられなかった。
  • ホスト時代を経て、お笑いに再挑戦したのは31歳の時である。芸人「ヒロシ」の自虐詩人という芸風はここからスタートした。当時は、長井秀和、青木さやか、波田陽区など、攻撃系、毒舌系のピン芸人が全盛の中、自虐ネタで浮上したヒロシは異色の存在であった。「モテてる人を応援したってしょうがないですから。『分かる分かる』とか『自分よりマシ』と思ってもらえれば」と語っている。
  • ヒロシがブレイクした2000年は、「フォーマット」や「ブリッジ」という言葉が横行し、構造的に、そして瞬間的に、笑いを起こすスタイルが流行っていた。ヒロシは、このお笑いスペック競争の最盛期に、その頂点に立った人物である。[6]また、ヒロシがブレイクする前の”一言ネタ”は、「どうでもいいですよ。」(だいたひかる)や「かなしいときー!」(いつもここから)などに代表される、いわゆる「あるあるネタ」である。これに比べ、ヒロシは、キャラクターを作りこみ、ネタの方向性を「ネガティブ」で一貫させた。細かく分析すれば、「非モテ」、「根暗」、「童貞」、「貧乏」などである。[6]
  • ネタ中にかかるBGMの「ガラスの部屋」という曲は、TUSTAYAでCDを5~6枚借り、「ヒロシです」と言いながら自分で選曲したという。ネタを覚える時も、家で自分が吹き込んだカセットテープをかけながら、何回も練習していた。[7]
  • ダウンタウンの松本人志を尊敬し、著書はすべて読破している。「本の内容には本当に影響受けてます。医者と看護婦のような典型的なコントじゃなくて、不良にからまれている設定とか、とにかくその後のお笑いを全部変えた。どれだけ考えているのかと思う」と語っている。[8]

エピソード

  • 幼児期の自分については、「班作りでは余り者、騎馬戦では必ず土台。人間にはランクがあることを知った。」[9]
  • 趣味は映画観賞、熱帯魚飼育、家庭菜園、ベースギター、釣り、バイク
  • 父親の仕事は炭鉱夫であり、裕福な家庭ではなかった。
  • 中学入学時、学年で一番背が小さかったため、牛乳を毎日飲んだ。結果として卒業までに人並みに成長した。
  • ブレイクして売れていた時は、家賃に40万円かけていたが、その後、4万3千円の家に引っ越した。
  • キャンプが大好きで、芸人仲間と行ったり、一人で行くことがある。
  • 好きなタイプの女性はスレンダーな女性で、元カノの浮気現場に遭遇したことがある。[10]

受賞歴

  • 「R-1ぐらんぷり」(第2回(2004))決勝進出
  • 「R-1ぐらんぷり」(第3回(2005))第6位:436点
  • 「第1回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」(2005)見事初代王者。200万円と車を獲得。

主な作品

 書籍 /カレンダー

  • 『ヒロシです。』(扶桑社、2004年9月22日、ISBN 4594047998
  • 『ヒロシです。2』(扶桑社、2005年4月16日、ISBN 4594049125
  • 『沈黙の轍 ずんだれ少年と恋心』(ジュリアン刊、2008年4月、ISBN 978-4902584660
  • 『ヒロシです。華も嵐ものり越えて』(東邦出版、2011年5月19日、ISBN 978-4809409479
  • 『【ヒロシの日めくり】まいにち、ネガティブ。──前向きじゃなくても生きていける ([実用品]) 』(単行本(ソフトカバー) – 2015年9月6日)
  • 『「モテない人」と「仕事がない人」の習慣』(単行本(ソフトカバー) – 2016年4月26日、ヒロシ (著)、小田原ドラゴン (イラスト))
  • 『【ヒロシのひめくり】今日のネガティブ。 後ろ向きでも幸せは見つかる』( 単行本 – 2016年10月29日、ヒロシ (著))

 連載

  • ヒロシによるお悩み相談室(CanCam、小学館)
  • ヒロシポエム(QuickJapan、太田出版)
  • ヒロシ・マネー(NET M@NEY(ネットマネー)、廣済堂出版)

 DVD

  • ヒロシ会(ユニバーサルミュージック、2005年3月12日)
  • ドキュメンタリー オブ ヒロシ〜空白の1500日〜(コンテンツリーグ、2011年11月23日)

 CD

  • ガラスの部屋〜ヒロシが選ぶ哀愁のヨーロピアン・ミュージック〜(キングレコード、2007年10月24日)- 「ヒロシです…」ネタのBGMとして一貫して使用しているペピーノ・ガリアルディの「ガラスの部屋」などを収録している。

脚注

出典

  1. [1]おぎやはぎ矢作、ヒロシとサンミュージックの揉め事を鋭い推理で明るみに出す。
  2. 2.0 2.1 ポジティブ流行りにモノ申す!ヒロシが勧める「頑張りすぎない人生」 - リクナビNEXTジャーナル
  3. 楽天ブックス|著者インタビュー - ヒロシさん『ヒロシです。』
  4. [2] インタビュー<日曜日のヒーロー>第468回 ヒロシ|nikkansports
  5. ヒロシ、最高月収4000万円を告白「番組で初めて言います」 | ORICON STYLE
  6. 6.0 6.1 6.2 サンキュータツオ(2012)『サンキュータツオの芸人の因数分解 GetNavi特別編集』
  7. 楽天ブックス|著者インタビュー - ヒロシさん『ヒロシです。』
  8. [3] インタビュー<日曜日のヒーロー>第468回 ヒロシ|nikkansports
  9. [4] プロフィール|HIROSHI OFFICIAL SITE
  10. [5]ヒロシ